スリーリングスのslackで、本や、インタビュー記事などをよく紹介しあっています。
その中で、以前紹介された理論物理学者の佐治晴夫先生のインタビュー記事がとても面白いので是非読んでみてください。
“これまで”が“これから”を決めるのではなく、“これから”が“これまで”を決める。
理論物理学者・佐治晴夫さんインタビュー
その佐治先生の本を図書館で見つけました。
「14歳のための時間論」という本です。
理論物理学 と聞くと、なんだかちょっと難しそうですが、「14歳のための」と書いてあるんだし、きっと私にもわかるようにやさしく書かれてあるに違いない!と思って、読んでみました。
たまたま、日曜日の夜、ごろんと寝転がって本を開いてみると、
「日曜日、月曜日・・・・」
なんと曜日ごとに章が立ててあります。ビックリ!
佐治先生に見られているような気持になり、思わず姿勢を正しました。
時間と言えば・・・よく、配偶者も「時間なんてないんだよ」と意味不明なことを熱弁し始めることがあって、以前から、「時間ってなんだろう?」とは思ってましたが、本を読みながら学者さんって、やっぱり、「なぜ?」の探求心が深いんだなぁ。。。「そんなこと当たり前すぎて考えたこともなかった。」という問いが続いて、たぶん、あと何回か読まないと自分のものにならないような気もします。
slackで紹介された本の一つに「This is water」という本がありますけれども、その冒頭
若いおサカナが二匹、
仲よく泳いでいる。
ふとすれちがったのが、
むこうから泳いできた年上のおサカナで、
二匹にひょいと会釈して声をかけた。
「おはよう、坊や、水はどうだい?」
そして二匹の若いおサカナは、
しばらく泳いでから、はっと我に返る。
一匹が連れに目をやって言った。
「いったい、水って何のこと?」
まさに、私は、佐治先生が「不思議ですね」と言われる不思議さが、ほんの少しも不思議と感じていないような気もしながら読み進めるわけですが、しばらく考えてみると、「ああ、、確かに、なぜだろうな・・・」という具合です。
若いおサカナたちのように。
「問い」というものは、どこか特別なところに隠してあるわけではなく、すぐ目の前にあるのかもしれませんね。
このパソコンを叩いている私の指はなぜ10本あるのだろう?
とか。
なぜ、誰かに何かを伝えたくなるのだろう?
とか。
なぜ、私たちは言葉を使うようになったのだろう?
とか。
「14歳のための時間論」に、
人間が言葉を持ったのは、「地震」のせいだと書いてありました。
地震によって、アフリカ大陸にサバンナができ、
サバンナでは四足歩行では危険を察知できないので二足歩行になり
二足歩行になると、のどの筋肉が引力で伸びるので言葉が話せるようになったのだそう。
必要に迫られて体って進化しているんですね。
友人のギターリストは、長年ギターを弾いているせいで左腕が少し長くなっていました。
ギターリストの子供が、またギターリストになって、そのまた子供もギターリストになって・・・と続くと、体はどうなってゆくのでしょうね。
さらに、厳しいサバンナで生き抜くために、耳からの情報が重要だったそうで、聴く能力はここで進化したのかなぁと考えますが、最近の研究でも「音声のみのコミュニケーションは共感の正確さを高める」 という研究結果があるそうです。
英語の論文なので、私は読めてないのですけど、英語が得意な方はよんでみてください
Voice-Only Communication Enhances Empathic Accuracy
https://www.apa.org/pubs/journals/releases/amp-amp0000147.pdf
今年の夏に出版された「超圧縮 地球生物全史」という本が今、とても気になっているのですが、
地球が生まれてから今日までを1年に例えると、12月にやっと恐竜が現れたそうです。
今年の1月に地球が誕生したとしたら、11月の今はまだ生物と言えるものは何もいなかったのかもしれません。
地球史、人間史って面白いですよね!
ノーベル生物学賞を受賞したスヴァンテ・ペーボさんの「ネアンデルタール人は私たちと交配した」も面白そう。
あれもこれも読んでみたい!と積読がすごいことになってますが、冬の間、たくさん本が読めるといいなぁと、ワクワクしているこの頃です。
ヨーチ
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